ON MY WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

今年もツルバキアの花は咲いたけれど…

ニラの葉のように茂っているところから、茎が伸び、今年も花が咲いた。



これは、8年前に埼玉で、妻の知り合いの家の人からもらってきたものだ。

その家の庭には、白いニラの花に混じって、ピンクの花を咲かせているものがあった。

葉の様子などがニラに似ていたけど、ピンクの花は珍しいから、なんという花か知りたくて植物名を聞くと、

「いやあ、これもニラだよ」

との返答だった。

「珍しいなら、やるから持って行きなさい」

と言われて、もらってきたものだった。

このことをブログに書いたら、ニラではなく「ツルバキア」という植物名であると教えてくれた人がいた。

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このツルバキア、もらったのは9月だったし、白いニラの花と一緒に咲いていたから、秋が近づくと咲くのだろうと思っていたら、翌年から6月末や7月に咲き始めるのだと知った。

以来、8年たっても変わらずに美しく咲いてくれている。

だけど、今年は、この花を少し悲しい目で見つめている。

なぜかというと、この花をくださった方が、2年前に亡くなっていたことがわかったからだ。

3年前に妻が訪ねたときには、その方が体調を崩していて、面倒を見ている奥さんも具合が悪そうだったということだった。

先月久しぶりに訪ねて行ったら、旦那さんは2年前に、奥さんは去年亡くなっていたことを知ったのだった。

とてもいいご夫婦だっただけに、そのご逝去は、とても残念だった。

 

花は今年も元気に美しく咲いているのに、それを育ててくれた人は、この世にいなくなっている。

それがとても悲しい。

 

8年前に義兄が亡くなったときに、隣組の組長として葬儀にいろいろと手を貸して下さった方も、去年急に亡くなってしまって驚いたものだった。

葬儀に千葉から駆けつけてくれた義妹も、去年まだ50代半ばだったのに亡くなってしまった。

こんなふうに、かかわりのあった人たちが、何人もいなくなってしまうのは、本当に悲しい。

そして、自分の寿命は……?などと考えてしまう。

ツルバキアの花を見て、なにやら無常を感じている今の私である。

書店数が減っているなか、「本からはじまる物語」(恩田陸 他著;角川文庫)を読む

先月報道されたニュースで、少し気になったのが、書店数減少のニュースだった。

全国の書店数が昨年度末で9993店となり、1万店を割ったということだ。

昨年度の書店数は2024年度の1万417店から424店減少。

全国の書店数は、1998年度の2万4237店をピークに減少に転じたとのこと。

今は、その時期の4割くらいの水準にまで落ち込んでいるという。

これは、インターネットの普及とかデジタル書籍とかネット書店とか、いろいろな影響があるのだろうな、と思う。

1年前には、政府(経済産業省)が、「書店活性化プラン」というものを公表したりして、なんとか歯止めをかけたい意向がうかがわれたのだが、なかなか簡単に回復とはいかないようだ。

ネット書店の伸長もあり、4割余りとなった。

 

そんなニュースを聞いたときに、図書館で見つけて、偶然借りていたのが、「本からはじまる物語」(角川文庫)だった。

表紙には、著者名が列挙されてあった。

・ 阿刀田 高 ・ 有栖川 有栖 ・ いしい しんじ ・ 石田 衣良 ・ 市川 拓司 ・ 今江 祥智 ・ 内海 隆一郎 ・ 恩田 陸 ・ 篠田 節子 ・ 柴崎 友香 ・ 朱川 湊人 ・ 大道 珠貴 ・ 梨木 香歩 ・ 二階堂 黎人 ・ 本多 孝好 ・ 三崎 亜記 ・ 山崎 洋子 ・ 山本 一力

著者名には、先日読んだ「蜜蜂と遠雷」の恩田陸、図書館から借りて読んだ「西の魔女が死んだ」の梨木果歩、「となり町戦争」の三崎亜記などの名前が並んでいた。

それだけで、ちょっと興味がわいた。

 

そして、裏表紙には、本書の紹介が載っていた。

1話5分でわくわくできる、本にまつわる18のストーリー。

森を飛びかう絵本をつかまえる狩人、ほしい本をすぐにそろえてくれる不思議な本屋、祖父がゆっくり本を読む理由、書店のバックヤードに隠された秘密……。

青春、恋愛、時代小説から、ミステリにファンタジーまで、「本」と「本屋」をテーマに豪華執筆陣18名が集結! 本の世界の奥深さが短いお話の中にたっぷり詰まっています。1話5分でわくわくできてどこから読んでも面白い、本にまつわるショートショート・アンソロジー。

 

ぺらぺらとめくってみると、1編が12、13ページの短編集。

気楽に読めそうだ。

この文庫本は2022年に出版されているが、巻末を見ると、

本書は、2007年12月にメディアパルより刊行された単行本を文庫化したものです。

と書いてあった。

今から19年も前に、小説家たちがどんな短編を書いていたのだろう、とさらに興味が高まった。

それで、借りてきたというわけだった。

 

あまり期待しないで気楽に読んだが、本や本屋にまつわる話。

小説家によって、いろいろと面白い話ばかりだった。

なかでも、本多 孝好氏の「11月の約束」。

不登校の男子中学生が、ある日本屋でひとりの老人と出会い、一冊の文庫本を渡され、提案を受ける。

「君がそれを買って読む。一週間後、この店で会って感想を私に伝える。そうしたら、それを買ってあげるよ。」

一週間後、老人は現れなかったが、その本を読んだことで中学生の人生が大きく変わってゆく。

何年かして中学生は老人の正体や来られなかった理由も知る。

この話が心に残った人も多かったのではないかなあ。

篠田節子氏の「バックヤード」や山崎洋子氏の「メッセージ」などの作品には、書店員さんの働き方が分かる作品もあった。

恩田陸氏は、「蜜蜂と遠雷」で、ピアノコンクールのことをあんなに現実のものとして書いていたのに、本書の「飛び出す絵本」では、本が空を飛ぶという発想のありえない話を書いていて、あまりの違いにふふっと笑ってしまった。

 

「本からはじまる物語」というだけあって、短いながら小説家がそれぞれの才能を感じさせる作品ぞろいだった。

「本」や「本屋」をテーマにした作品を書かせると、やはり彼ら物書きは、なるほど本や本屋が好きな熱をもっていると分かるものだなあと思った。

 

その熱に比べると、本書の作品たちが書かれてから20年近くたち、紙でできた本や本屋が減少している現状が、とてもさびしく感じられた。

はてなブログで1年、そして年中行事の側溝清掃だったけど

7月になった。

このブログ、以前はgooブログだったが、そこがブログをやめるというので、このはてなブログに移ったのだった。

忘れていたが、このはてなブログで当ブログ「ON MY WAY」を開設してから1年になるという報せが届いた。

そうか、1年になるのか。

早いなあ。

 

はてなブログで開設したのは去年だが、gooブログで開設したのは2008年の7月3日だったから、まもなく18年になるのだな、と思う。

定年退職したときに、毎日更新を心がけようと決心したから、以来9年3か月余りが過ぎ、それからなら今は10年目になるというわけだ。

はてなブログで1年、ブログ開設から18年、毎日更新を実行し始めて9年3か月余り。

ただ、これは私個人の覚書みたいなものだから、あまり読者を意識していたり、読む人を増やしたいと思ったりはしていないので、あしからず。

毎日更新と言いながらも、まあ、力み過ぎずにこれからも書いていきたい。

いつまでそれができるかな…とは思うけれども。

 

いつまでできるかな、と言えば、今日はその思いを抱いたときがあった。

それは、当地に住むようになってから38年、今や年中行事となっている側溝清掃で。

年に1回、この時期に行うように自治体から指令(?)が下る。

そんな指令よりも、早く下水道化してくれ、と思うのだが、私たちが住む区画はその構想からずっと外れている。

それで、側溝の重いふたを外して土を落とし、ヘドロや土を取り除き、きれいな水を流して清掃しないといけないというわけだ。

これが、結構重労働。

思いふたを外して最後はまた戻す作業も面倒だ。

もちろん、臭く汚い側溝をきれいにするのもひと苦労だ。

去年のブログに、その苦労を書いた覚えがあるので、載せておこう。

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昨日、わが家の側溝清掃得を行ったのだが、今日は、近所のXさんの側溝清掃を手伝った。

Xさんは私より10歳近く年上なのだが、その奥さんが病気で入院となってしまった。

一人での側溝清掃作業は大変だから、手伝ってきたのだ。

この作業で腰をやられることも多いのだが、Xさんは腰を曲げることに難があるのだとのこと。

だから、例の器械を使ってふたを外すことはできるが、しゃがめないので外した後に器械のツメを外すことが難しいのだという。

そこで、Xさんが器械を使ってふたを持ち上げて外すとき、私は、地面に置いたそのふたから器械のツメを外す作業をくり返した。

Xさんの家は角地にあるので、わが家に比べて外すべき側溝のふたの多いこと!

50枚以上あって、大変だった。

 

こんなふうに、高齢者2人で清掃作業をしたが、いつまでできるのだろう?

あと数年してこの家の2人ができなくなったら、遠いところで生活している子どもは帰って来れないから、やれる人がいなくなる。

わが家も例外ではない。

この区画、清掃作業ができなくなってしまうじゃないか。

そんなふうに危機感を持ったのであった。

そんな心配をしながら、がんばって作業を終えた。

 

去年もこのブログでかいたように、美化作業を終えたら、夕方、美花が1つ咲いた。

これまた年中行事の一つかな。

きれいな花が、疲れをいやしてくれたよ。

 

ブログの継続はいいとして、似たような記事が何度もまた出てくるだろうけど、どうかご勘弁を。

 

サッカーW杯、決勝トーナメント1回戦でブラジルと対戦、涙をのむ

 

う~ん。やっぱり勝てなかった。

残念!!

 

サッカーW杯、決勝トーナメント、日本の相手はブラジル。

以前なら、相手がブラジルと聞けば、それだけで怖じ気づいて、勝てるかもなんて雰囲気は、まったくなかったものだ。

それが、今の選手たちは「本気のブラジルと対戦できるなんて、楽しみでしようがない」なんて言えるのだから、時代が変わったなあと思っていた。

本気で勝つつもりで対戦していたのが、よくわかった。

強い相手にびびって力を出せないなんてことは微塵もなく、持っている力を十分な発揮してくれたと思っている。

 

個の力で劣っている分、組織力で対抗していくということがどういうことなのか、伝わってきた。

特に、隙を見せない守備がすばらしかった。

一対一では勝てないかもしれないから、そういう相手に対しては、2人で対応する。

そうやって、今日の試合でも、ビニシウスを完全に押さえていた。

そして、前線でも、足の速い前田大然、上田、伊東らが、相手にプレッシャーをかけ、有効なパスを送らせない。

チャンスとみたら、一気に速い攻撃を仕掛ける。

これが、対ブラジルで、今の日本の生きる道なのだ。

それを全選手がよく理解し、統一した行動をとれていた。

 

それでも、ブラジルは、歴戦の監督がしっかりと対策を授けたようで、後半は、やたらとゴール前にクロスを上げるようになった。

それが有効に働いて、同点に追いつかれてしまった。

 

勝ち越し点を防ぐために選手交代をせざるをえなかったが、それは、ともすると、攻撃的な選手を守備的な選手に代えることになったのではないかということだった。

だから、攻めに転じられなくて、アディショナルタイムの決勝点につながったしまったのではないかと考える。

失点は、ペナルティエリア付近でボールを奪われたことが大きかったが、だからといってその選手を責めることはできない。

 

総合力と団結力で戦っていた日本代表。

いいチームだった。

試合後のインタビューで、「力のある、すごくいいチームだったのに、こんなに早く負けてしまうなんて」と語っていた選手がいたが、その気持ちが十分に分かる。

 

解説者を務めた本田圭佑が言っていたが、くじ運が悪かったということも言える。

実力的に日本より劣ると思われるチームが決勝トーナメントで勝ち上がるのは、対戦相手に恵まれたこともある。

予選リーグで3位ながら予選突破できたチームだって8つもあるのに、ベスト32で、なんでこんなに早くブラジルと対戦?

運がなかった。

 

でも、日本の好チームぶりは、世界に示すことができたと思うし、今やどこの強豪チームとも互角に戦える実力をつけていることがはっきりした。

決勝トーナメントを勝ち上がることはできなかったが、着実に強豪国の仲間入りを果たしたと言える、今大会の4試合だった。

この経験を次の大会につなげよう!

 

ところで、夜中2時キックオフの試合は、つらいね。

寝床にパソコンを持ち込み、DAZNで見たけど、今日は眠かった。

今は、寝不足でちょっぴり頭痛もある。

おやすみなさ~い。

アルビレックス新潟、契約更新の選手多く、陣容ほぼ決まる

6月も29日。

月を数えると、あと1日で、今年の半分が終わる。

早い!

 

それはともかく、新しく迎える2026-2027シーズンを前に、サッカーJ2アルビレックス新潟の選手たちの契約はどうなるかな、と心配していた。

従来と違って、短い期間に何人かずつドカンドカンと更新のニュースが届いたのが、今までとは違うイメージだった。

ひょっとすると、何人も他チームに移籍するのではないかと思いもした。

今日で、百年構想リーグで新潟に在籍していた選手たちの動向がほぼ全員はっきりした(と思っている)。

今日まで契約が発表された選手たちは、31人。

百年構想リーグで在籍していた選手が、ほぼ契約更新=残留となった。

他チームに移籍する選手は、わずか3人しかいなかった。

GK田代琉我がJ3栃木SCへ、MF島村拓弥が横浜FCへ、そしてMF大竹優心が海外クラブへ行くことになった。

この中で、先のリーグで活躍していたのは島村だけだ。

だから、戦力的なダウンは少ない。

そして、新戦力だが、待望の上背のあるFWとして桑山侃士が加わった。

ポストプレーができるFWがほしかった新潟。

ナイスな補強といえる。

ほかに、愛媛で中心となって活躍していたMF前田椋介。

大竹がいなくなるし、ボランチの層がまた厚くなる感じだ。

それから、新潟U-18で日本代表も務めたGK松浦。

ゴールキーパーが、4人、みな鉄壁じゃないか。

 

 

ほとんど同じ顔ぶれでも、先のリーグではけがから手術をしてリハビリのため出場機会がなかった、ダニーロや古長谷がどんなプレーを見せてくれるのか、期待感がある。

また、リーグ戦中にけがで出場できなくなった、マテウスモラエスや小野裕二などが加われば得点力が増すだろうと思う。

オーストラリア代表のゲリアも残ってくれる。

活躍した選手がほぼ残留だ。

だからといって、補強が完璧だったかどうかはわからないが。

結果は、リーグ戦の試合で出てくるはず。

 

でも、新戦力が少なくても、現有戦力で勝ち点3を積み上げられる自信があるから、このような契約更新となり、解雇される選手が出なかったのだろう。

はたして、どうなるか、楽しみだ。

 

来月早々に活動をスタートする船越アルビ。

フィジカルトレーナーに、懐かしき安野コーチが戻ってきた。

6月6日の百年構想リーグプレーオフ第2戦が終わった後、船越監督は、「7月から、地獄のキャンプになる」と、選手たちに伝えていた。

涼しい北海道ではなく、南の沖縄で張るキャンプ。

選手や監督、スタッフたちは、また家族と離れて大変かもしれないが、その分充実したキャンプを行い、8月からの新シーズンに備えてほしいと願う。

 

まずは、なじみの選手たちで首を切られる選手がいなかったことを喜び、新シーズンの活躍を期待したい。

 

Visca  Albirex !!

(この言葉、久しぶり)

 

地域の防災教室開催に協力

ここのところ、日本各地で震度5,6クラスの地震が頻発しているのが、ちょっと心配だ。

 

新潟県では、1964年6月16日に新潟地震が起こって、大きな被害を受けた。

当時、私は小学2年生で、家に帰って母とテレビを見ようとした瞬間に起こったのだった。

急にグラグラっときたかと思うと、見えていた庭の池が大きく波打って水が飛び出しているのが見えた。

すぐそばにいた母が私をわきに抱え、外に飛び出した。

そんなことを60年以上たってもよく覚えている。

 

そんな新潟地震があったせいか、6月に避難訓練や防災教室を実施したりする学校や会社・事業所は今でも多い。

私の住む町内会でも、去年、今年とこの時期に防災教室を実施している。

今日の日曜日、地域の町内会とこども会が協力して防災教室を実施した。

対象は、地域の小学生とその保護者の皆さんだった。

 

朱たる内容は、2つ。

〇 消火器の使い方

〇 心肺蘇生法とAEDの使い方

 

この防災教室のために、市役所の地域安全課の方や、市の消防団の方々が来て、いろいろ指導に当たってくれた。

外では、消火器の使い方指導。

自治会館内では、心肺蘇生法の講習。

私は、この防災教室のサポート役として受け持ったのが、…

…誘導棒を持って、道路を通行する車等からの安全管理。

通る車はそんなに多くないけど、外と中を行き来する子どもたちの身に何かあったら大変だからね。

 

消火器は、水消火器を使って、消火のための基本的な操作を行う。

こどもたちは、消防団員から指導を受けながら、消火器を操作して火のマークがついた目的物めがけ、放水する。

目的物が倒れると、「消火」の文字が出て、消火成功、ということになる。

それはいいのだけれど、水が少なくなると水圧が落ち、目的物まで水が届かなくなるので、消防団の人たちが、水がなくなったり少なくなったりした消火器を何度も運び、再び水を発射できるようにと、水を入れるのに忙しかった。

 

建物の中では、心肺蘇生法の講習が行われていたが、私は外で交通誘導の仕事があるので見ることはかなわなかった。

道路で立っていたら、近所の年輩のオバサンが、何をしているのかと聞きに来た。

消火器の使い方と、心肺蘇生法やAEDの講習だという話をした。

すると、そのオバサンは、

「こわい、こわい。私は、そんな機械(AEDのこと)は、いじれない。」

と言い出した。そこで、

「皆さんそう言うけど、操作の仕方はとても簡単なんです。なのに、怖がってやらないと、助かるはずの人がそのまま死んでしまうのです。だから、少しでも慣れて、操作して命を救えるようにすることが大事なのです。そのために、小さい頃から使えるようにしておくことが大事なんですよ。」

と伝えた。

それを聞いて、感心していたけど、

「やっぱり私にはできないね。」

と言いつつ去っていった。

そういう人をなくし、救える人を増やすためにも、この防災教室は大切なのですよ、ハイ。

 

やがて、始まってから1時間半後、防災教室は、無事終了した。

消火器にせよ、心肺蘇生法やAEDの使用法にせよ、操作した経験があるのとないのとでは違う。

こどもの頃から慣れた経験が、先ほどのオバサンのようにただ怖がるだけで逃げ腰になるのではなく、救命のために一歩踏み出せる人になることにつながるはずだ。

私は交通整理でしか貢献できなかったけど、防災教室開催に協力したということには相違ない。

開催に尽力・協力した皆様、お疲れさまでした。

咲き具合の違うガクアジサイを見て楽しむ

梅雨の時期を迎え、わが家のガクアジサイも花の時期を迎えている。

このガクアジサイは、20年前に勤めた勤務先で、何かのアクシデントで茎が折れてしまったものを見つけたときのものだ。

かわいそうに思って水に差して飾り、家に持ち帰ってその後挿し木をしてみたら、根がついて生きのびた生命力の強いガクアジサイだ。

やがて花を咲かせるようになり、あのまま捨てておかなくてよかったな、と思ったのだった。

もっとも、その生命力の強さで、どんどん大きく勢力を伸ばし、やがて隣に植えてあった別種のアジサイを上回っていった。

そのせいか、隣のアジサイは弱っていって枯れてしまった。

 

そのアジサイが咲き始めた。

咲き始めた、と言っても、この写真にはまだ咲いている花はない。

つぼみが開きかけたように見える、ガクが開き始めただけ。

まだ色がつかずに、白っぽいような黄色っぽいようなガクだけど、この状態がまるで花びらが開いて花が咲いたように見えて、きれいだと思うなあ。

でも、それは花ではないと知ったのはいつのことだったかなあ。

中央部の丸い粒の集まりは、多数のつぼみ。

そのつぼみも、黄色っぽい粒、緑っぽい粒、青っぽい粒の集まった状態に見えるのが美しい。

 

こちらのは、中央部の花がいくつか開いているものがある。

外側のガクにもアジサイらしい色がついてきた。

完全に紫にならないものは、まるでネモフィラのような美しさがあってきれいだ。

中心部のつぼみが開いて花が咲いたものが、3つ4つ見られる。

 

 

 

別のガクアジサイを使って、花の様子を拡大して見てみる。

花びらがあって、雄しべのようなものが見られ、これこそが本当にガクアジサイの花なのだな、と思う。

だけど、なんだか拡大するとちょっとグロテスクに感じる。

 

花がたくさん咲いているガクアジサイ。

中央部のつぼみのような粒も青色のものが多い。

ごちゃごちゃしていて、あまりきれいに感じない。

 

こんなふうに、今はいろいろな咲き具合のものが見られて、結構飽きないガクアジサイ。

 

そういえば、ガクアジサイのガクは、花の一部の名前の萼(ガク)ではなく、額縁の額(ガク)なんだって。

言われてみれば、絵画を飾る額縁のように、中央部の花の周りを飾る姿に、「ガクアジサイ(額紫陽花)」と名付けたのかもしれないね。

 

 

 

サッカーW杯予選リーグ第3戦は、スウェーデンと1-1のドローで、決勝トーナメント進出

サッカーW杯予選リーグも第3戦。

日本はスウェーデンと対戦。

予選リーグ突破、決勝トーナメント進出のためには、グループ2位以上にならなければ。

初戦オランダと引き分け、第2戦でチュニジアに4-0で快勝した日本。

世間では、もうこの1勝1引き分けだけで、日本は無敵で予選突破を果たしたみたいな雰囲気。

報道各局も、SNS等も、なんか浮かれすぎているような気がして、おいおい…と思っていた。

だって、いくら第2戦でオランダに1-5で敗れたとはいえ、スウェーデンだって弱くないんだよ。

チュニジアに5-1で勝っている。

勝ち点は、日本が4、スウェーデン3と、差は1しかない。

負けたら簡単にひっくり返るのだ。

しかも、スウェーデンにはイングランド・プレミアリーグで活躍する点取り屋もいる。

日本と同じくらいの実力と言えるのじゃないか、と内心、心配していた。

 

本日の試合結果は、1対1の引き分け。

試合内容を見ると、前半は日本のゲーム、後半は日本が先制したとはいえ、スウェーデンのゲームだった。

両者とも勝ち点1ずつを加え、グループリーグ2位をつかんだのは日本だった。

負けたスウェーデンも、グループリーグ3位のチームの中では得点が多いから、きっと決勝トーナメントに行けるはず。

 

それにしても、2位突破したというのに、決勝トーナメント初戦がブラジルとはなんというこっちゃ?

ブラジルとは相性がよくなかったよなあ。

全然勝てる気がしなかったもんなあ。

20年前のドイツ大会では、予選リーグ第3戦で対戦し、日本が玉田のゴールで先制したことがあった。

でも、それでブラジルが目覚め4点取られ、1-4で負けた試合を覚えている。

玉田の「先制ゴールはよかったけど、ブラジルを本気にさせちゃったかな…。」という談話が忘れられない。

 

本気と言えば、今回、森保監督の談話は頼もしい。

「日本サッカーの発展のために非常に良い経験。相手は強敵ですけど我々も勝つチャンスはある。次のステージに上がっていけるように勝つチャンスを見出すこととチームとしてしっかり準備していきたい」

「(ブラジルに昨年10月の親善試合で勝利したことにも触れ)さらに相手のモチベーションは高いと思われますし、そういうブラジルと、本気のブラジルと戦えることを、私自身、楽しみにしております」

と、意気込んでいる。

本気のブラジルと戦えることを楽しみにしているのだからね。

 

前回大会で、ドイツ、スペインを撃破し、今大会ではオランダと引き分けた日本。

だから、実力は間違いなく上がっている。

そうでなければ、「優勝が目標」なんて言えないだろうな。

優勝が目標、ということなら、対戦相手がブラジルであってもどこであっても、勝つ力がないと、それは言えないはず。

真に「優勝が目標」と言えるチームになったことを、ブラジルを破ることで証明してほしいものだ。

 

…とまあ、ありきたりなことを書いているし、試合放送も全部見たようなことを書いてはいるが、今日は落ち着いて見てはいられなかった。

というのは、今日は、家の台所で長年使った流し台の交換工事が行われたからだ。

【before】

38年使ってきて、水漏れがするなど老朽化が激しかったからね。

ちょうど試合時間中は、その作業の真っ最中で、ゆっくり見てはいられなかったのだ。

前田大然の先制ゴールは、都合よく見られたけど。

【after】

あんまりかわりばえしないね…⁉

 

ブラジル戦は、真夜中かあ…。

年寄りにはきつい。

見られないかもしれないなあ。

 

南野、三苫、久保、板倉…いろいろな選手がケガで出場できなかったり危ぶまれたりしている日本代表。

そこをなんとか厚くなった選手層で補って、勝利をつかんでほしいなあ。

夕焼けがきれいな季節

夕焼け…というと、「♫夕焼け小焼けの赤とんぼ…」という歌がすぐに思い浮かんだりする。

「赤とんぼ」は、俳句では秋の季語になるから、「夕焼け」もそうだろうと思っていたら、違うんだね。

「夕焼け」だけだと、なんと夏の季語なのだそうだ。

秋の季語にしたければ、「秋の夕焼け」とするのだそうだ。

 

さて、いくら昔の暦と今の暦がずれているとしても、今の時期はどちらであっても、「夏」に当たるだろう。

夏の季語ということは、夏に夕焼けを見てしみじみと感じることが多いということでもあるだろう。

実は、私は、ここ数年、6月や7月に、「夕焼け」が夏の季語であることを感じることがよくあるのだ。

なぜなら、この梅雨の時期に夕焼けが本当に美しくなるからだ。

たとえば、昨日の夕焼けがそれに当たる。

昨日は、こんな夕焼けが見られた。

住宅街の一角なので、あまり背景は美しくないのだが、夕焼けきれいだなあ、と思う。

そして、なにかとても懐郷的な気分にひたってしまう。

こんなふうに、夕焼けが美しく見られるのは、秋よりもこの梅雨の時期の方が多いかもしれない。

梅雨の合間に晴れた日、その夕焼けがいい。

昨日も、夕方外に出て、しばし西の空を見つめて、なんともいえない感傷に包まれていた私であった…。

 

懐かしき学生時代のつながりを求めて、東京へ日帰り旅(3;最終)

                  10

大学の時計台をバックに、腕に大学の腕章をしている女性がいたので、記念にわれらがジイさんたちの写真を撮影してもらった。

大学の構内を歩いているときは、雨がやんでいたのでよかった。

この後、歩き出したら、また雨が降ってきた。

俗にいう「立教通り」で昔を思わせるのは「スミタ帽子店」の文字だけだった。

その向かい側はコーヒー店だったのではなかったか?などと昔のことを考えていた。

 

こうして歩いて行った先は、マージャン店、雀荘である。

学生時代は、麻雀ができると付き合いの幅が広がった気がした。

大学1年生のときは、友人たちと徹夜トランプと称して、「大貧民ゲーム」をやりまくっていた時期もあったが、2年生のときに、何がきっかけだったか覚えていないが、麻雀をやるようになったのだった。

そのメンバーは、この卓球同好会のメンバーであることが多かった。

主に1年先輩か1年後輩とだったが、その理由は、同期の仲間で麻雀をやるメンバーは私のほかに1人Y君しかいなかったからだ。

それもそのはず、私たちの学年だけサークル同期の仲間は6人だけ、しかも男だけ。

他の学年のように女性メンバーはおらず、6人という少人数なのに、しっかりしたスクラムは組めないという顔ぶれであった。(人のことは言えないが…)

他の学年は自分たちで楽しく麻雀をやっているのに、私やYは他の学年の人々に混ぜてもらわないと遊べなかったのだ。

まあ、それはこの日も同じだったかもしれない。

 

ここでは、T先輩、H先輩とほかにもう一人の新たに3人が合流して8人で2卓を囲む予定だった。

ところが、一人、家庭の事情でどうしても参加できなくなってしまったのは、残念だった。

予約してあった店に行ってみると、「たばこを吸うメンバーはいますか?」と聞かれた。

集まったメンバー7人とも顔を見合わせたが、手を挙げる者はいなかった。

さすが健康に気を付けている高齢者たちだ。

「それならば、別の階をご案内します。」だって。

時代が変わったねえ。今はこんな配慮をするんだ。

かつては、雀荘ではモクモクした煙の中で麻雀をするのが常だった。

私のようにタバコを吸わない人間は、受動喫煙を強いられた時代であった。

 

さて、7人での麻雀だが、4人と3人に分かれてやることになった。

じゃんけんをすると、私は、Tさん、Mさんとともに3人の方になった。

店員が萬子の牌を片付け、3人麻雀を始めた。

3人麻雀だと上がったときの点棒の数え方などが通常と違うから、戸惑いがあった。 

それでも、やっぱり相手がいる麻雀は、パソコンやスマホでやるものよりはるかに楽しい。

結果は、こんなもの。

負けもありましたが、最終的に勝たせていただきました。

 

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雀荘を出ると、雨が強く降っていた。

その中を歩いて、懇親会の会場に移動した。

そこは、イタリアン・レストラン。

会場である上の階に行くと、窓からさら地になりつつある「白雲閣」の跡地が見えた。

なくなった寂しさを、雨がなおさらつのらせる。



懇親会に参加したのは、私を含めて15人。

幹事のMさんが、初めのあいさつで、このように卓球・麻雀・飲み会を楽しむ会をしようと言い出したのは、彼と同時代に部長を務めたKさんだったという。

Kさんは、当時うちの大学のエースだったが、人柄も好かれ、卓球も好きだが、麻雀も酒も好きな人だった。

ところが、今から数年前、そのKさんが亡くなってしまった。

そして、その後KさんやMさんと同期のHさんも亡くなった。

2人をしのんで献杯をし、その後で乾杯をしたいというMさんの提案にしたがって、献杯そして乾杯をした。

鬼籍に入った人はほかにもいるかもしれない。

こうして、この会に参加できているだけでも貴重なことなのかもしれない。



長岡から来ている先輩もいた。

私より3年先輩で、学生当時あまり顔を出してくださらなかったので、思い出もないがこうして同じ新潟県から参加しているということで急に親近感がわいた。

隣の席になった女性が、腰椎の椎間板ヘルニアで苦しんでいるという話だったので、40歳過ぎの私の経験談を話したりした。

近況報告では、みな、意識的に短めに話をやめられるのが、他のメンバーに対する思いやりとしてすばらしいな、と思った。

腫瘍だとか癌だとか、そんな話もあったが、それでもこの席に加われているということは、戦っている、乗り越えている、ということ。

人生を感じます。

驚きの声が上がったのは、秋田から来た方のクマの出現の話。

「店が自動ドアなのだけど、もしクマが来た場合、自動ドアだと勝手に開いて入って来られるとまずいので、電源を切ってある。手動で開けようとすると、ドアが重くて手…。」

他の参加者も、秋田でクマ出現のニュースを聞くたびに、心配しているとうなずいていた。

 

場を盛り上げたのは、1年後輩のUさん。

彼は、20年前に拡大同窓会を行った時の幹事長だった。

それだけに、企画力と実行力、周囲の人を楽しませる力を持っている。

あらかじめこの会に参加するメンバーを知り、その一人一人を称えるメッセージを用意していた。

大したもんだ。さすがだね。

途中から、司会進行的な役割まで果たし始めた。

でも、謙虚でユーモラス、本当にいい性格をしていると感心する。

 

そのUさんが、人数分用意してきたのが、校歌と第一応援歌の歌詞が印刷された紙。

幹事的な仕事をさせると、一級品の彼の配慮である。

最後にこれを歌いたいと提案し、第一応援歌は一番まで歌った。

校歌の方は、一番ではもったいないので、私は三番まで声を上げた。

学生時代より母校愛が高まっている私。

人生の中で、ほんの4年にすぎない学生時代。

ここに集まった顔ぶれとは、多くて3年、中には1年しか重ならない人もいた。

なのに、この仲間意識の強いのはなぜなのだろう。

その意識がうれしい会だった。

 

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あっという間に3時間が過ぎ、お開きとなった。

今度はもっと多くの会員を互いに誘って、また会いましょう、との言葉があった。

 

駅に向かって歩くのだが、やっぱり右脚ふくらはぎの下が痛い。

椅子に座っているときは全く痛まないのだが、歩くのがきつい。。

途中で、Mさん、Bさん、Cさんと別れた。

この3人は、この後さらにカラオケに行く予定になっていた。

タフだね。卓球に始まって、すべてやり切るとは。

 

私は、痛い脚を引きずるようにして歩き、池袋のJRの駅までたどり着いたが、なんと電車のダイヤが乱れていた。

おいおい、大宮で乗る新幹線に間に合うのか?

不安になった。

私が乗る予定の埼京線の電車は、22分遅れだとか。

後輩のUさんと一緒にいたのだが、彼は首都圏に住んでいるので交通事情は詳しい。

「50foxさん、このまま埼京線の電車を待つのじゃなくて、来る電車に乗りましょう。次は、湘南新宿ラインの電車が来ます。これ、埼京線より早く行けますよ、乗りましょう。」

と、多少うとい私に教え、促してくれた。

 ありがたや、ありがたや。

 たしかに、来た電車は混んではいたが、早く大宮駅に着いた。

 Uさんに感謝したら、彼は大宮駅で私が新幹線に乗り込むまで見送る、と言う。

 そこまでしなくてもいいよ、と断ったが、彼は入場券を買いに行った。

 その誠意が、とても心にしみた。

 ホントにいいやつだなあ。

 やがて、ホームには上越新幹線とき347号新潟行きが入線し、Uさんとは握手して別れた。

 

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念のために事前に指定席をとっていた私は、座って帰途に着くことができた。

 ほっとしたら、急に、酔いと睡眠不足からくる疲れがどっと出てきた。

 おまけに頭痛まで出てきたが、1時間くらいうつらうつらした。

 順調に新潟で乗り換え、最終の各駅停車に乗り込んだ。



 最寄り駅に着くと、雨が強く降っていた。

 傘をさしても、靴は濡れた。

 右足が痛いが歩かないと帰れない。

 雨にも痛みにも悩まされながら、苦しい思いで歩いた私だったが、不思議に心は晴れ晴れした気分だった。

 家には夜中0時30分、無事にたどり着いた。

 

 ふう。

 朝5時半から夜中の0時半までかかって、19時間の東京日帰り旅が終わった。

 

 Mさんから貴重な機会をもらい、楽しい時間を過ごせたことに感謝したい。

 そして、今回かかわってくれたすべての人にも。

 Uさんも、最後までありがとう。

 

 懐かしき学生時代のつながりを求めて、東京まで日帰り旅をした。

 とてもよいふれあいに会え、やり切った、楽しみ切った、1日となったのであった。